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お金を介さないコミュニケーションの価値 「Cの辺り」池田一彦 ×「コルクラボ」佐渡島庸平対談

「お金を介すると、面倒なことを抜きにして、契約が成立できるので、ものすごく便利です。ですが、相手との関係性はそこで清算されてしまいます。お金を支払ったら、受け取ったら、そこで一旦終了。だからこそ、お金を介さない価値交換で関係性を育みたいと考えています」

これは、「Cの辺り」の代表・池田一彦さんの言葉です。
 
コルクラボでは、月に一度ゲストを招き、コルクラボの発起人である佐渡島庸平(愛称:サディ)と対談するイベント、通称「ゲスト会」を行っています。

3月のゲスト会では、神奈川県の茅ヶ崎海岸でコワーキング&ライブラリー「Cの辺り」を運営する、株式会社beの池田一彦さん(以下、敬称略)に来てもらいました。2人の対談の、ほんの一部を紹介します。

向かって左:佐渡島庸平(さどしま・ようへい)
編集者。コルク代表。従来のビジネスモデルが崩れるなかコミュニティに可能性を感じ、自身で学ぶべく2017年にオンラインサロン「コルクラボ」を立ち上げる。なおコルクラボでは、年に数回不定期でメンバーを募集している

向かって右:池田一彦(いけだ・かずひこ)
2000年にアサツーDKへ入社。2009年に電通へ。2021年に独立して(株)beを創業。代表を務める。beでは、「全ての仕事は実験と学びである」をモットーに、事業開発からコミュニケーションデザイン、UX設計まで幅広いレイヤーのディレクションを手がける。beが運営するコーワーキングスペースついて詳しくは、地域から世界を変える。関係資本主義の社会実験、Cの辺り

暮らしを作ることが仕事そのものだった

池田一彦(以下、池田)
会社に勤めていたとき、長男が生まれたタイミングで育休を取りました。「育休キャラバン」と銘打ち、0歳児と長女と妻と僕の4人でキャンピングカーに乗り、日本一周の旅をしたんです。その旅で、自分がどれだけ狭い世界で生きていたかに気づくことができました。
 
衝撃的だったのは、リアル『北の国から』のような、自給自足をしている家族との出会いです。その家族の子どもが、「昨日トイレに電気がついたんだよ!」とものすごく嬉しそうに言うんですよ。現代の日本で、トイレに電気が通ったことで、こうも喜べる小学生って、ほとんどいないですよね。
 
この家族と一緒に過ごしていると、日々の暮らしがとにかく楽しそうでした。どうしてこんなに楽しそうなんだろう、と観察していると、「暮らしと仕事が一致してる」からだと気づいたんです。

自給自足だから、自分たちの暮らしを良くすることがそのまま家族の喜びになっている。僕らの仕事だと、生活と仕事を一致させることは、そうそうできないことです。
 
佐渡島庸平(以下、サディ)
現代で働くぼくらは、魔訶不思議なところに喜びを感じていますよね。たとえば、「本が100万部売れてうれしい!」という仕事上のゴールを達成して、縄文人にドヤ顔をしても、まったく意味が通じないでしょう。
 
池田
会社で猛烈に働いていたときには、でかい仕事をして世の中を動かすのがいいんじゃないか、という価値観で生きていました。世界の幸せが地域の幸せにつながり、地域の幸せが家族の幸せにつながっていく、という広がりを意識していたものの、自分や家族に幸せが返ってきている実感はありませんでした。
 
そこで、この流れを真逆にしてみたらどうかと考えたんです。家族の幸せを最優先に置く。自分や家族の幸せが地域の幸せにつながり、その幸せが日本と世界の幸せにつながっていく。この流れが、いちばん素直だなと。
 
そのような想いから、株式会社beを妻と一緒に作りました。

金融資本主義と対になる「関係資本主義」

サディ
立ち上げた会社で、具体的にどんなことを行っていこうと考えたのですか?

池田
「もしも、世界が2つあるとしたら?」と、世の中を少し極端に分けてみました。 

仮に、「成長が目的の世界」と「幸せが目的の世界」があるとします。成長が目的の世界をグロースワールドと呼び、そのエンジンは金融資本主義で動いている。もう一方の、幸せが目的の世界をグッドワールドと呼ぶ。では、グッドワールドのエンジンは何か?それを考えたとき、『TED』(※)のある動画を思い出したんです。
 
ハーバード大学が、ウェルビーイングの研究で70年間程度、人々のライフログを追いかけていました。その研究結果から、幸福に直結していたのは、お金でも権力でも仕事の内容や達成度でもなく、「良き人間関係だった」と判明しました。

(※)「Robert Waldinger: What makes a good life? Lessons from the longest study on happiness

『TED』より

そこで、金融資本主義と対をなす価値観を、「関係資本主義」と名づけたんです。この対立構造で考えると、いろんなことがクリアになったんですよ。

お金を介さないと関係できない場所が多すぎる

サディ
「関係資本主義」が大事というところは、ぼくも概念としては超賛成です。同時に、金融関係資本主義に対して、不安を感じないようにするためには、新たな思考のOSをインストールしないといけない、とも思うのです。

では、一体どんなOSを入れれば不安を解消できるのか?と考えると、そこで止まってしまう。
 
現代で、ぼくらが関係資本主義的に振舞おうとすると、それを邪魔するOSがすでにたくさんインストールされている気がしています。たとえば、「将来は、関係性で助けてもらえばいいや」と考えても、ぼくの場合は会社勤めじゃないから企業年金がない。老後は少額の国民年金だけになるから、今みたいな生活はおそらくできない。

もし「困ったときには、関係性が助けてくれるはず」とまったく貯金をしなかったら、「今後も満足のいく生活ができるだろうか?」と不安になってしまいます。
 
池田
関係資本主義を邪魔するものは、ほとんどの場合において、お金の不安です。実際問題、生きていくためにはお金が必要ですから。僕自身も、まだまだ関係資本主義的には生きられていないです。

株式投資をし、将来に備えて貯蓄もしています。解脱(げだつ:縛っているものから解放されて、自由になること)したお坊さんのようになんて、人はなれないですよ。
 
サディ
お金をなくすことは、解脱でもないんじゃないんですかね。現代は、お金でしか関係ができない場所が多すぎる。たとえばホテルに行き、「お金を持っていませんが、一晩泊めてもらえないですか?」と頼むことは、変人として扱われてしまいます。

ぼくらは、お金を介してコミュニケーションを取ることが当たり前の世界で生きている。だから、「関係資本主義」によって、お金を介さないコミュニケーションが増えていくことは、人と人とのコミュニケーションが豊かになっていくこと、でもあるのかなと思います。

トム・ソーヤ視点で価値を発想する

池田
僕のnoteにも書いていますが、『トム・ソーヤの冒険』で描かれている「ペンキ塗り」のエピソードが大好きなんです。

ポリーおばさんにペンキ塗りを命じられたトムは、名案を思いついた。
面倒くさい作業のはずなのに、何故か楽しそうに口笛を吹きながらペンキを塗りだしたのだ。
通りかかった友達はなぜ楽しそうなのか?と聞いた。
「だってペンキ塗りって毎日できることじゃないだろ?」
友達は、あまりに嬉しそうなトムを見て、自分も塗らせてくれと頼んだ。
しかし、トムはこれを断った。
友達は、自分のビー玉を差し出して塗らせてくれと頼み込んで、ようやく塗らしてもらった。
それを見ていた他の友達も次々に宝物を差し出して、ペンキ塗りに加わっていった。

サディ
ぼくもこの話が大好きで、実は1冊目の自著『ぼくらの仮説が世界をつくる』の最後に、このエピソードを紹介しています。ぼくにとって、仕事はトム・ソーヤのペンキ塗りと同じ。

ある人にとっては罰でも、楽しそうにぼくがその仕事をしていたらみんなが参加してくる。だからぼくはトム・ソーヤみたいに振る舞いたい、といったことを書いています。だから、ものすごく共感します。
 
池田
トム・ソーヤ視点から価値を考えると、おもしろい例はたくさんあるんです。たとえば、千葉のローカル鉄道は、運転士の人材が集まらなくて困っていました。

そこで視点を変え、「700万円を払っていただけたら、運転士に育成します!」と価値を打ち出したところ、全国の鉄道好きの方々が集まってきたそうです。「これ楽しいでしょ!」と提示をすると、「お金を払ってやってみたい!」といった価値の逆転が起きたのです。
 
サディ
日本で幅を利かす価値観として、「我慢する」がありますよね。たとえば、勉強をイメージしてほしいのですが、本来、学ぶことは楽しいものです。学びたい、知りたい、という欲求から始まって、教わったときには「教えてくれて、ありがとう」となるはずのものです。

それが、受験勉強によって「勉強は、我慢をして行うおこなうもの」に変わってしまっている。小学生から塾へ通って、大学受験まで我慢、我慢、我慢じゃないですか。その延長で、仕事も「我慢料」だと思っている人が圧倒的に多いですよね。

池田
日本の考え方の主流が、仕事を「我慢して行うもの」に仕立てていることは同感です。ですが、それはコインの裏と表であって、あくまで捉え方や表現の違いです。だからこそ、視点を変えることでその価値を大きく変えることができると思っています。
 
サディ
行う内容はまったく同じなのに、我慢料だと思わせるのか、それとも楽しみだと思わせるのか。それは、プロジェクトと人との出会いの場によって大きく変わってきますよね。
 
池田
現代人が一番大切にしてるお金なんですが、トム・ソーヤ視点で価値を発想できるようになると、お金を支払うことと受け取ることが逆転してしまう。ほんとうに不思議です。

関係性を築くための「会員権」

池田
「Cの辺り」の事例では、「お店番制度」が挙げられます。「時給をいくら払いますよ」ではなく、「お店番ができますよ」と有料会員の権利として打ち出したところ、たくさんの応募があったんです。自分が店主になって、知り合いをもてなしたい、という隠れた欲求を多くの方が持っていたということです。
 
サディ
ぼくの好きなカフェが、神戸にあるのですが、そのカフェは、社員2人とボランティアスタッフで運営しています。社員の仕事は、ボランティアスタッフにやりがいを感じてもらうために、日々の仕事を整えること。だから、カフェの営業自体は、ボランティアスタッフだけで行っています。
 
ここだけを聞くと、「人件費が抑えられて、ものすごく利益が出ているのでは?」と思われがちなのですが、実は、ボランティアスタッフにやりがいを持ち続けてもらうための仕組みづくりが大変すぎて、採算が合わない部分もあります。
 
たとえば、15時から16時は、スタッフ全員で食事を取る時間に充てています。カフェにとって利益の出る時間帯を、きっちりクローズするのです。一方、多くの飲食店では、誰かと一緒に食事を取る幸せなひとときを提供しているにも関わらず、そこで働くスタッフは、交代で食事を取っていますよね。場合によっては孤食です。

このカフェでは、スタッフ同士が、楽しいひとときを過ごせるように配慮し、利益を出すことよりもスタッフの幸せを最優先に考えているのです。 

池田
「Cの辺り」の建物は、全部DIYで作りました。そのおかげで、釘の1本でも打ちに来てくれた方との関わりができたんです。また、図書館に自分の蔵書スペースが持てる「オーナー制の本棚」も、DIYワークショップで製作したところ、多くの方が自らオーナー契約をしてくれました。

「Cの辺り」の建物内にある図書館。並んでいる本は、「オーナー制の本棚」の権利を持つオーナーによる選書

池田
また、「Cの辺り」を始めるときは、建物の設計から、写真の撮影、ロゴやパンフレットの制作まで、すべてプロの方々にお願いをしました。その際、対価としてお金ではなく、「Cの辺り」の永久会員権をお渡ししたんです。そうすると、頻繁に遊びに来てくださるんですよね。
 
サディ
永久会員権だと「関係性を築きましょう」という気持ちが、しっかり伝わるのがいいですね。お金を介するコミュニケーションが必ずしも誠実か、というとそうではない。だからこそ、視点を変えて、どうやってお金を介さずにコミュニケーションを取るのか、を考えることが大切ですよね。

新しい価値の交換方法を模索し続ける

池田
お金を介すると、面倒なことを抜きにして、契約が成立できるので、ものすごく便利です。ですが、相手との関係性はそこで清算されてしまいます。お金を支払ったら、受け取ったら、そこで一旦終了。だからこそ、お金を介さない価値交換で関係性を育みたいんですよね。
 
サディ
ただ、お金を受け取らない方が尊い、というわけでもないじゃないですか。お金を受け取っている人も、お金のとの関係も否定したくない。現代を生きていくためには必要だから。となると、余計にわからなくなりますよね。
 
池田
お金を受け取ることは、決して悪いことではないです。でも、お金の使い方によっては、人のモチベーションや感情をコントロールできてしまうので、まだまだわからないことだらけです。

それでも、今の社会システムの中で持続可能な仕組みとなるように、関係資本主義的な発想をどんどん加えた、新しい価値交換の実験を繰り返していきたいと思っています。

【2人の対談を終えて】

お金の存在を肯定しつつ、新たな価値を伝えて、お金を介さないコミュニケーションの方法を模索し続ける。その後も、2人の話は尽きることはなく、さらには教育や家族の在り方にまで、話は広がっていきました。

私は、2人の対談を聴きながら、かつて自分がお金を払って参加していた、里山森林ボランティアのことを思い出しました。当時は、自然の中で汗を流して、農家さんが作ったおいしいごはんを、みんなと一緒に食べられるのが、最高に楽しかったのです。今年は、以前から登山仲間に誘われている、登山道の整備に行ってみようと思います。

 
文/福本将信、バナーデザイン/さちえる、マガジンのバナーイラスト/にしこ

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