わからないまま摂取してみる。身体性と上達の原理 身体思想家・方条遼雨 × 「コルクラボ」佐渡島庸平 対談
4月にコルクラボに来て下さったゲストは、武術研究者である方条遼雨さん。方条さんは武術を学ぶなかで、「身体と心は完全に同一である」と気づいたそうです。
私たちが知識やスキルを上達させたいとき、「この部分を伸ばしたいから、こんなことを学ぼう」と、決め打ちして臨むことが少なくありませんよね。でも実のところ、その方法は上達への近道どころか遠回り。
ブレイクスルーのカギは、「思考ではなく、身体の感覚」にあるといいます。
「身体の解像度を上げることによって、自分に本当に必要なものが得られるようになります」と説く方条さんに、ブレイクスルーのヒントや人生が変わっていく身体のあり方、考え方について伺いました。
武術を始めて、世界が反転した
佐渡島庸平(以下、サディ)
方条さんが武術を始めてから、身体の使い方や世の中の見え方は変わりましたか?
方条 遼雨(以下、方条)
変わりました。「全部が逆」だとわかったんです。何か力を発揮するとき、普通は力を入れたほうがいいと思うじゃないですか。だけど実は、入れないほうがいいんだ、とかね。がんばることを良しとしているけど、実はがんばらないほうがいいんだとか。まるで、世界が反転したような感じでした。
サディ
そう、逆なんですよね。たとえば時代モノのマンガで、道場でみんなが一列に並んで、声をそろえて竹刀を振るシーンが描かれることがあります。でも実際は、昔の日本ではそんな力技のような稽古はしていない。
方条
引き算の思想ですからね。中にはものすごくがんばるような流派もあったと思いますけれども、筋トレという概念がほとんどないのが、日本の文化ですから。武道だけではなく能とか狂言も含めて、「無駄を省いていく」という文化は脈々とあったと思います。
「説明できないけど、心がざわざわする」と感じるものほど、積極的に取り入れる
サディ
方条さんの著書『上達論』には、すべてのことに初体験の気持ちで臨むことこそが上達への近道だとありました。そこにも通じますが、人は、自分がわかる範囲のことしか、面白いと感じないなと思っているんです。
サディ
この対談でも、方条さんに会う直前までのぼくの知識としてあることを方条さんが話したときには、「そうそうそう!」と思ったりするけど、そこからずいぶん離れたことを方条さんが言った場合、それが真理でも本質でもほぼスルーしてしまったりする。
そこが、人が上達することを阻む大きいジレンマだと思うんです。どうやったら、ブレイクスルーできるようになりますか?
方条
情報を塊のまま食べることができるようになると、ブレイクスルーできるようになります。今、情報の取り方そのものが「照らし合わせ」になってしまっていて、人間の発展を止めるボトルネックになっているんです。
サディ
それは、わからないものも摂取するということですか?
方条
そう。わからないものこそ、塊のまま摂取してみるといいですね。何かを食べるとき、私たちはただ「おいしそう」と思って食べるし、体が勝手に栄養を吸収してくれる。でもそれが情報になると、「この主成分はこうだから、これを食べるとこの栄養になる」というような取り方をしてしまうんです。
でもそんな食べ方、まずいじゃないですか。楽しめないし。だから情報は、塊で食べるのがいいんです。
まず「よくわからないけどなんだかゾワゾワする」だとか、「なぜか心地いい」みたいに感じるものに触れにいくといいですね。論理的に考えるならばその後です。情報の取り方を変えると、人はものすごく伸びます。
目的を持たないことが、上達の近道
サディ
今の世の中って、説明できることが求められていますよね。商品を売るときでも、なぜこの値段なのか説明できるものを売ろうとしてしまう。
マインドフルネスは目標を持たないことが大事だと言いながら、仕事で成功するためにマインドフルネスを取り入れようとしたりする。どんなふうにすると、わからないものを丸ごと食べられるようになるんでしょう?
方条
人は、自分が理解できる情報を取りにいってしまうんです。自分を外側に引き出してくれるはずのものは理解ができないから、価値がないもの、意味のないものとして排除してしまうんですね。
自分の枠組みの外にある情報を得ることが、バージョンアップには欠かせません。ここを踏み出せるかどうかがポイントです。
理解ができないけど、身体に響くようなものは狙いどころです。音楽でもマンガでも食べ物でも何でもそうですが、やっぱり好きなものを選んでしまいたくなる。そのときに、「チャレンジしたことがないけど食べてみようかな」とか「普段はヒップホップを聴いているけどクラシックも聴いてみようかな」ということを、あえてやってみるんです。
サディ
有無を言わさず食べ続ける。それは、勉強のような論理的な情報でも同じですか?
方条
同じです。たとえば勉強するとき、まず教科書を最初から読んで、理解してから問題集を解いていくというようなやり方が主流だと思いますが、逆で、わかる前に教科書を最後まで流し読みするほうがいいと私は思っているんです。
それは、わからないことを含めて、塊をそのまま食べられるからです。「わかるまで進んじゃいけない」というのは、呪いなんです。それを解除することはものすごく難しい。
だからこそ、わからなくても立ち止まらないでどんどん食べちゃう。どんどん進んでしまう。そのあたりがポイントだと思います。
調和した人間関係をつくるために、「ここまでならOK」という範囲を少しずつ広げる
方条
人間のエネルギーというのは、混沌としたカオスの中にあります。そこから取り出して整えると表現になったり、知性になったりする。
そのエネルギーがいろんな芸術を産んだり、悲劇や喜劇を産んだりするように設計されています。自分の狂気をうまく扱えるようになると、「すごい表現だね」とか「すごい発想だね」「すごい知性だね」と言われるようになったりします。
その混沌としたエネルギーを得るためには、意味がわからないものとか新しいことを多く取り入れることが大事になってきます。そしてそれは、枠組みから外れたことほどいいんです。
ただ、それは崩壊に向かうエネルギーでもあるから、それを怖いと感じる人たちがいる。そういう人は、「これはだめだ」「こればこうするべきだ」というモラルをどんどんつくっていってしまうんです。
サディ
それは、人が集まる場においても同じですか?
方条
同じです。誰か一人が何かをしたとき、それを放っておいたら場が乱れるかもしれません。でも、その乱れをエネルギーに変えるためにはどうすればいいかを、そこにいる人たちが自発的に考えて動けるようになれば、それぞれの知性が底上げされていながらも、調和がとれた場になっていきます。
サディ
ワークショップとかで場を区切られるとできるけれども、日常生活で他の人との人間関係の中でやっていこうと思うと、難しい。どんなことを意識すればいいんでしょう?
方条
そばにいる人や周りにいる人がどこまで自由に振る舞っていいかという境界線を、意識して拡張してみるといいですね。どんな関係性においても、「ここを許しちゃうと、場が乱れて手がつけられないな」というラインがある。
そこで恐怖を感じたり自信がなかったりすると、束縛したり支配したりしようとしてしまう。男女関係なんか特にそうですよね。
だから、人との関係において「ここまでならOK」というラインをどこまで広げられるか、意識的に観察しながら拡張してみるんです。
身体をゆるめると、感情もゆるむ
サディ
仕事なんかでも、「この人とは付き合いたくない」と判断してしまう人はとても多いなと感じることがあります。どうやったら、自分の枠の外に出ることができるようになるんでしょうか。
方条
自分の許しの範囲を広げていくことと、別の領域、たとえば身体の領域からも嫌悪感を解除するということをやってみるといいですね。全部根っこで通じているので。嫌いな人が近くにいると胃が痛くなったりしますが、実はあれは、身体が最初に反応しているんです。
まず身体に現象として胸周りの収縮とか横隔膜周りの収縮なんかが起きて、それを不快に感じるから、「この人苦手だな」「好きじゃないな」という感情的な嫌悪につながっているんですよ。
嫌悪感を解除するには、まず体の力を抜いてみるといいですね。それをやっていくと、自分と違う意見を言っている人を、身体のレベルで単なる現象として見られるようになってきます。
サディ
自分の身体が何を今感じているのかに気づくのが、そもそも慣れてないと結構難しいですね。さらにそれを解除するというのは、より難しい。
方条
取り組みやすいところからやってみるといいですね。普段よく使っているところや表面に近いところほど、意識が向きやすいし制御しやすい。だから、身体は入り口としてもとてもいいんです。
たとえば、嫌な人がいて胸がギュッとなるときには、胸周りの筋肉が収縮したり、内臓周りの筋肉が持ち上がったりしています。
でもダイレクトに内臓を緩めたりするのは難しいので、まずは近くにある腹筋にアプローチしてみるんです。シックスパックをつくるみたいにして、腹筋にぐぐっと力を入れた後で一気に脱力すると、腹筋に近い内臓も同時に力が抜けていきます。心が乱れたりイライラしたときなんかは、それをやるだけで心が穏やかになりますよ。
方条
身体がリラックスして力が抜けている状態というのは、筋肉がぶらんとぶら下がっている状態なんです。心が安定して落ち着いている状態も同じです。収縮した筋肉を広げてぶら下げるようにすると、元の位置に落ち着きます。
慣れてきてそれが当たり前になってくると、収縮してぎゅっと上がったときに違和感を感じるようになるので、「上がってるから下げよう」と思えるようになります。
「ただ気持ちいいからする」を、暮らしの中で増やしていく
サディ
思想が枠の外に出るために体側からできるアプローチには、ほかにどんなものがありますか?
方条
子どもがするようなことをやってみるのは、とてもいいですね。子どもって、ただ気持ち良いからやってることが結構あるじゃないですか。泥をバシャバシャ叩くとか、プチプチをずっと潰してみるとか。大人になると、そんなこと意味がないし子どもみたいだからってブレーキがかかってしまうけど、あえて積極的にやってみる。「やってみたい」という欲求を優先するといいですね。
公園ででもいいんだけど、できればもう少し自然が豊かな山とか海にでかけてみるといいと思います。
サディ
やっぱり、自然の中で遊ぶことは大事なんですね。
方条
そうですね。あとは、自分の身体をとにかく動かしてみるのもいいですね。掃除機じゃなくて雑巾がけをしてみるとか。そうやって身体を動かして、返ってくる情報を味わうことが大切です。
そのときに、「面倒くさいなあ」と思ってやるのか、自分の体に着目して、より楽に雑巾がけができる身体の使い方を工夫しながらやってみるのかで、起きてくることが変わってきます。
足の踏み出し方はどうだろうって考えて、実行してフィードバックして工夫して歩いてみるとか。あとは、自分を追い込まないで楽しむことを優先すること。目的は逆に、邪魔になるんです。
【2人の対談を終えて】
対談の冒頭では、身体の声を聴くための練習法について、実際に身体を使ったデモンストレーションをしてくれました。方条さんは、80キロ超の成人男性を軽々抱えたり、方条さんの靴は底が透けていた(裸足で歩いている!)という驚嘆する事実が発覚したりと、終始笑いあり、驚きありの刺激的な1時間でした。
対談を聞きながら改めて自分の身体に意識を向けてみると、親友に再会したような、実家に帰ってきたような、そんな安心感を抱きました。子どものときのように、面白いからする、心地よいからする、ということを、日常の中で私も増やしていこうと思います。