コルクラボ ガーデン [CORK Lab GARDEN]

904

神は細部に宿る。Nintendo Switch『ゼルダ無双 厄災の黙示録』をプレイ中、ちょっとした驚きと発見がある。作り手の遊び心が細部に隠されていて、それを見つけたプレイヤーは思わずニヤッとなる。小さな喜びと感動が生まれる。作り手の情熱と好きが伝わってきて、たのしくなる作品だ。

経験値があることに助けられることがある。未来を見越して、経験値を積もうと、躍起になっていた頃があったが、実際役に立ってきたか、わからない。ただ、忘れた頃に、「一時期これを熱心にやっていてよかった」と思えることがある。逆に経験値あり過ぎて偏見・常識に縛られることもあるが。一長一短。

ラジオ葉書職人。小さい頃、ラジオ番組のお便りコーナーで、葉書を出すことに憧れていた。自身のものぐさで、ちょっと怖がりのせいで、結局一度も出すことはできなかった。今はメールで簡単に送れる。じぶんの字の読みやすさや、スペースの使い方(レイアウト)に気を使うことがない。今出してみたい。

「異見」と「否定」について。ここ最近、相手を否定することが、どういうことなのかを、時々考える。違う考えを述べることは、否定ではないと思うが、否定と受け取られやすいように感じる。「違う」と伝えたら、否定ととられがちだけど、「間違い」と言っているわけではない。「違い」と「間違い」。

つぶやきnote。夏休みの宿題を8月の終わりにやっていた我ながら、ほぼ毎日続けられている。何度も書いてはやめて、書いては飽きてを繰り返してきた。ものぐさなじぶんが、「今日は何を書こうかな」と、考えるようになった。その時に気をつけていることは、たいしたものを書こうと思わないことだ。

最近、「孤独感」というのは、こういうことかというのを、からだで感じる。晩ご飯を食べてうたた寝して、夜中に目がふと覚めるときだ。妙に頭が冴えていて、心は無防備で空っぽ状態。このとき、からだ全身でじわじわ周りの静かな情報や空気を感じるせいか、「今、じぶんはひとりだ」と思う。さみしい。

過剰すぎることを疑う。先日、友人から言われたこと。「上田さんって、ある時期に何かに傾倒しても、必ずどこかで自分から元の場所(状態)に戻ってきますよね」。たしかに言われてハッとなった。自身の飽き性もあるが、傾倒し過ぎることに慎重で、どこか距離を置いてしまうのだ。自己肯定感の話か。

じぶんがいいと思ったものを、そのまま「いい」と言うには伝えにくい場所は存在する。個人的にはいいけど、商品的にいいのか、みたいな場所で言うときは多少配慮が混ざってくる。逆に違和感を伝えるのは、もっと配慮がいる。心理的安全性がある場を前提にしても配慮は必要。でも、し過ぎもよくない。

先日、友人から、ガツンと言われて、ショックだった。「上田さん、久しぶりに会いましたけど、だいぶ険しい顔ですね、大丈夫ですか?」。ぼく自身は、そこまでヤバい状況になっていると思っていなかったが、側から見ると、そう見えるのだな。こういう事を率直に言ってくれる友人がいて、ありがたい。

肌クリームを変えたら、その効果の違いに少し驚いた話。乾燥肌でアトピー持ちのぼくは、冬の乾燥時期はつらい。思い切ってほどでもないのだけれど、普段使っているのとは違うメンズ用タイプの肌クリームを試してみた。今まで不自由と感じていた塗る際のなめらか具合が、スッと馴染んだ。ちょっと感動。